【日光観光】日光東照宮【家康公400年祭】
元和2年(1616)4月17日に家康公が薨去されてより400年
※日光東照宮ご宝塔
今回のテーマは、家康公のお骨はどこに!?
WEBマスターの一行とはいっても、いつものコンビ(WEBマスターとAちん)だが、今回は日光東照宮にやってきた。今回のテーマは家康公のいわゆるお骨はどこにあるのかを個人的に解明できたらいいなと思いを秘めてやってきた。いわゆる歴史ロマンに浸る旅行である。ちなみに、WEBマスターたちは静岡から来たのであるが、これに先だって1ヶ月前ほどに静岡の久能山東照宮へもいってきたのでいろいろ比べながら、旅行記がかけそうである。
あさやホテルから日光東照宮へ
朝、あさやホテルを出発。車で30分程度で日光東照宮へ到着。途中、日光駅を右側にみつつ登ってきました。この日は関東地方の大雪の数日後で昨晩も雪が降りましたので地域の皆さんも雪かきをしていました。
日光東照宮の駐車場でこんな雪。
ここに来る道中では除雪されていましたが駐車場はまだまだ雪まみれです!
でも、静岡県民なWEBマスターたちは雪を見るとテンションが上がってしまうのでわざと雪が多い日陰側に来たのは内緒(^^;)
これはスタッドレスタイヤ必須です。
東照宮なうとか皆さんよくやっている場所にきました。
ここは駐車場からの脇道からちょうど出てくる場所に立ってます。
外国の方も多いです。
五重の塔です。芯柱が公開されていましたので見学へ。
入場料がかかりますが、ファイルケース貰いました。
んー鮮やかな色彩で青がキレイです。
干支にまつわる彫り物細工がほどこされています。その説明書きがあります。
順路を廻っていきます。
そしてこれが芯柱です。ご開帳-!(^o^)
でも撮影禁止なので公開された写真の写真を(^^;)
まわりにはご仏像が安置されていますがこちらが撮影禁止だそうです。
WEBマスターは開設のお姉さんにお尋ねしました。塔というからには上まで上れるんですよね。どこから上るんですか?と尋ねるとあの辺ですと教えてくれました。天井に上れる穴があって普段は閉めてあるみたいですが、はしご階段は備えてあるそうです。点検用ですね。
そしてこれが芯柱の底ですよ。
これは撮影OK。なんと数センチ浮いてます。要は芯柱は塔の内部を貫いてはいるが塔の何段目かで金具で止められて中吊りになっているそうです。固定してしまうと構造物が経年劣化などで縮むと屋根の一番てっぺんの部分に隙間がでてきて雨漏りの原因になってしまう。その為、つり下げることによって要は各部を引き締めているわけですね。
受付をすませてお次は中へと進んでいきます。
日光東照宮見取り図です。
表門です。仁王様がおらっしゃれます。
表門を入ったところです。
振り返ると、お獅子様と目が合いました。
表門の裏からです。
表門(おもてもん)【重文】
東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれています。
こちらは、下神庫ですね。
こちらは、上神庫・中神庫です。
神庫(さんじんこ)【重文】
上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。
また、上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。
神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)【重文】
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。
御水舎(おみずや)【重文】
神様にお参りする前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清める為の建物です。水盤は元和4年(1618)九州佐賀藩主鍋島勝茂公によって奉納されました。
陽明門(ようめいもん)【国宝】
HOTもお茶、COLDもお茶です!
ここの自販機補充用のお茶は下から担いでくるんでしょうか(^^;)
奥宮(おくみや)【重文】
拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる御祭神のお墓所です。
そして、ご宝塔へ
静岡からはるばる家康様の元へやって参りました。
Aちんいわく、家康さまはやっぱり静岡に埋葬されてるよね。感じるもん。 Aちん談。
というAちんですが、WEBマスターもその通りだなと思います。
薬の調合が趣味で健康にも気をつかっていた家康様。こんな冬は雪が降るような寒い内陸深くに眠りたがるだろうかと考えていた。
眠るのは、晩年を過ごした街を見下ろす日本平の海が見える山の上でよしとしよう。ただ、これから幕府を築いて未来永劫見守るにはどうしたらいいか。
家康様は考えていたハズです。
幕府を守る地。日光の地を選んでいたのです。
日光東照宮と久能山東照宮の秘密
WEBマスターは考察しました。家康様の事だからいろいろ考えたに違いない。
静岡には、日本人なら誰もが敬う世界遺産富士山がそびえています。
これにはあやかりたいと天下人なら思うハズ。線で結んで見ると、
日光東照宮は、なんと久能山東照宮から富士山山頂を結ぶ線の延長線上にあります。
家康様の時代ではまだまだそんなに精巧な地図がまだないハズですがこの一致は偶然ではないでしょう。
さて、平面で1点を決めるにはもう一つ直線が必要です。
その線はどこから引くか!もちろん、江戸城です。家康の時代はもうありましたし今の皇居です。幕府の中心であり将軍の居城です。
では、江戸城(皇居)から、真北に線を引いてみましょう。
普通の人は、あれ、日光東照宮って江戸城の真北じゃないじゃんー残念!って思うかもしれません。
WEBマスターはボーイスカウト上がりです(笑)地理も得意なので、地図読みはわかっている方です。
実は、地図の真北と方位磁石の真北って違うんですよ!
大体、日本(東京)では6度のずれがあります。
なので、家康様の時代だったら磁石が北だから真北だぞ!って言っても何も問題がありません。しかも、日光東照宮はホントに磁北にあります。家康様の時代なら江戸の北です。
日光東照宮はすなわち、久能山東照宮と富士山山頂と江戸城の北を結ぶ2本の線が交差する1点に作られたのです。
これで、この日光の地に家康様をお祀りすることになった理由がWEBマスターにはわかりました。遺言ですしね。
日光東照宮まで来た甲斐がありました(^o^)
さて、話は戻り旅の続きへ。
御本社(ごほんしゃ)【国宝】
本殿・石の間・拝殿からなり、東照宮の最も重要なところです。例祭をはじめ、年中の祭典が斎行されます。また拝殿左右には、「将軍着座の間」・「法親王着座の間」があります。
次に向かうのは、御本社の内部へ。ここからは撮影が禁止です。
履き物を脱いで内部へ入ると、係の方がいろいろ説明をしてくれます。
将軍着座の間も見学できます。
外にでると、
神輿舎(しんよしゃ)【重文】
御神輿が収納されていました。
薬師堂(本地堂)
日光東照宮には、見所がいろいろありますが、天井に龍が描かれている鳴き龍が見逃せません。
履き物を脱いでお堂に上がります。
入ってすぐ天井に描かれた大きな龍が目に入ります。
このお顔の真下でで火の用心じゃないけど、拍子木をカツーンカツーンと打つと!?龍が泣くんです!ホントなの!?気になりますよね。
ぜひ、聞きにいきましょう!(^o^)綺麗な音色ですよ(^o^)
鐘楼まで戻って来ました。
実は、陽明門では、桐油蒔絵rが発見されました。
今回は写真に収めましたのでお見せします。
(※クリックで大きな写真)
日光東照宮で行われている大修理で、26日、陽明門の西の側面の彫刻が取り外され、側面から鶴や松が描かれた桐油蒔絵が217年ぶりに姿を現した。
1636年の陽明門が作られたときに描かれ何回かの塗り替えを経て現在の蒔絵になった。その後に、1796年に牡丹唐草の浮き彫りをした彫刻で覆いがされた。
その理由は、桐油蒔絵は日光で劣化することもあるので、未来に残したいと考えた偉い人がなにか保護するために覆いが必要と考えて彫刻の覆いをかぶせたと考えると、江戸時代の覆いを付けてくれた偉い人はすごいと思いますね。これぞ歴史ロマンでしょう。そのままにしておけという反対の声もあったハズですから。
晴れた青空を背景に雪が乗る屋根です。金箔が映えます。
まだ、旅は続きますので戻ることにします。
宝物館に入っている上島珈琲店によりました。
黒糖ミルクコーヒーを飲んだらうまあああ!(^o^)
生き返りました。このお店、正面から歩いてきた人は存在に気がつかないんじゃないかな(^^;)宝物館は、新築でピカピカでした。
次は華厳の滝に向かいます(^o^)続く。